「夢と脳」と「魂と霊の2つの仮定」の話
以下になります。
敬語 ~社会人として必要なスキル~ Part 1
面接 ~社会人に必要なスキル~ Part 2
履歴書 ~社会人に必要なスキル~ Part 3
報連相 ~社会人に必要なスキル~ Part 4
感情コントロール ~社会人に必要なスキル~ Part 5
目的意識 ~社会人として必要なスキル~ Part 6
優先順位 ~社会人として必要なスキル~ Part 7
決断力 ~社会人として必要なスキル~ Part 8
問題解決力 ~社会人として必要なスキル~ Part 9
自立した社会人になりたいとお考えであれば、ぜひ上のスキルを1つずつ習得して、社会人としての自由を手に入れてください。
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今日のお話は、私が得意とする脳のお話です。
脳は、心の入れ物だと思います。
心は、魂の入れ物です。
魂というと、スピリチュアルな響きがありますが、私は良い意味で魂という考えを使います。
魂の存在を証明することは、宇宙の果てを証明するのと同じぐらい難しいと思います。
ないと言うには証拠がなく、あると言うにも証拠がない。
でも、魂があると仮定して、自分のこと、家族のこと、仕事のこと、社会のことを考えると、すっと頭がスッキリします。
だから、私が魂という言葉を使うときは、どこかの宗教の話ではなく、生前も死後も続くエネルギー体の事です。
そしてこの魂は、きっと宇宙の果てとつながっているんだろう、と勝手に私は思っています。
宇宙の果てとは、無限な存在です。
そんな無限は、明らかに存在します。
宇宙を覆(おお)っているものが何かわかりませんが、それを大宇宙と呼ぶとしましょう。
その大宇宙を覆っているものは、何でしょうか。
大宇宙に果があって、その大宇宙を覆っているものが、超大宇宙だとしましょう。
このように、名前がどんどん増えても、宇宙の果てにたどり着くことはありません。
Torus(トーラス)理論といって、宇宙にかぎらず、この世の全てはドーナツ型をしていて、宇宙も本来そんな形をしている、という説もあるようですが、では、大きなドーナツを包んでいるものは何か、という話に結局なるので、宇宙の果ては延々続きます。
おっと、話がそれそうなので、今日のテーマに戻ります。
今日の最初のテーマは「夢と脳」です。後半は「魂と霊」です。まずは「夢と脳」のお話です。
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人は夢を描きます。
ここでお話する夢とは、憧れであり、理想です。
夜中に夢を見るときもあります。あれは、REM睡眠と言って、浅い眠りの時に脳のある部位が活動することです。
今日はそのお話ではなく、大志を抱くという意味での夢です。
人は、脳のどこで夢を抱くのでしょうか。
それは、側坐核という脳の部位です。
大きさ5ミリ程度の小さい脳の一部です。左右の前頭葉の裏側にやる気スイッチとして存在します。
ここが刺激されると、「やる気」が生じます。
そのやる気は目標が達成されるまで続きます。
脳の中に、夢とやる気の仕組みが用意されているのです。
使わない手はありません。
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次に、「夢と魂」のお話です。
私達は、夢を描きます。
夢は目標に変わり、あなたの生活に充実感を与えます。
夢は無くても生きて行けます。
でも、どうして人は夢を描き、夢を描ける人にあこがれるのでしょうか。
脳科学的に考えると、ある程度の仕組みやメカニズムはわかります。
しかし、このアプローチは「どうやって=How情報」は教えてくれますが「なぜ=Why情報」は教えてくれません。
そこで出てくるのが、スピリチュアルな解釈です。これは科学ではなく、個人の意見にすぎなくなりますが、それでも納得は得られるようになります。
個人的に私は、魂が夢を求めていると思います。
ここからは、「魂と霊」のお話です。
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毎日を楽に暮らすこともできますが、何か人のお役に立てる事はないかと夢を追いかけて生きることもできます。
その決断を決める最終的な原因は脳ではなく、魂にあると私は考えています。
魂は、永遠からやってきて、永遠に帰ります。
魂は、今も昔も、永遠の一部です。
その魂は清らかな場所、清らかな行いを求めます。
今の世の中、残念ながら、悪がはびこっているようです。
魂はそれを良しとしません。
その理由は、魂が清らかな宇宙の果てから来ているからです。
ま、ここでも、宇宙の果て = 清らかな場所 という仮定でお話しています。
さて、今日は、2つの仮定が出ました。
ひとつは、「魂は存在する」という仮定。
2つ目は、「魂は清らかな場所に属する」
これはあくまでも仮定であって、思考の補助線のようなものです。
いつか、ひっくり変えるかも知れませんが、私が夢の種を執筆している間は、この2つの仮定を基に話を進めていきます。
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今日のお話の最後に、宇宙の果てこそが、霊と言われる存在なのではないかと考えています。
そう考えると、私の中で色々とスッキリするのです。
霊は元々、靈と書くそうです。
字を大きくしましょう。
靈
この漢字の真ん中に口が3つありますが、これは水玉を表すそうです。
水玉のごとく清い存在が霊である。
仮定1 「魂は存在する」
仮定2 「魂は清らかな霊に属する」
最後に断っておきますが、私はいかなる宗教や団体にも属していませんし、今後も属する予定も必要もありません。
私が夢の種を書き続ける理由は、それが善き事であるという信念に基づくものです。
そして、その信念はどこから来るかを考えると、上の仮定に絞られるのです。
今日の「魂や霊」のお話は、あくまでも仮定です。
単なる仮定ではありますが、信じる対象があると、人は幸福感が得られます。
これが信仰心の正体だと私は思います。
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幸福感や信仰心に関する脳科学的なお話はいつか別の記事でお話します。
明日からは、脳の基礎的な構造と機能についてお話したいと思います。