The seed of dreams' blog

夢の種のブログ

最も大事なこと Part1





ブログを再開します!と書いてから、早くも10日が過ぎました。
期待されていた読者の皆様、すみませんでした。

このところ、実験に明け暮れておりました。
一通りの基礎的な実験結果が得られたので、安心しています。

私が行っていた実験とは、
「2つの磁石を、ある角度で、ある距離に置くと、力を加えなくても動く装置」を作ることでした。

今のところ、5センチメートル程度ですが、その実験が成功したので後は
1.どれだけ摩擦を減らすかという作業と、
2.直線運動をどうやって円周運動に移すか
という課題に移ります。


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私がブログも更新せずに上の実験を繰り返していた理由は単純です。
私の家の電気代を安くするためです。


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いやいや、もちろん、その先があります。
磁力からエネルギーが得られれば、それは、あなたにもできることを意味します。

日本中、世界中で、磁力からエネルギーを作り出すことができれば、エネルギー問題は解決します。
磁力によるエネルギー生成は、二酸化炭素を必要としません。
よって、地球温暖化を防ぐ助けともなります。


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さて、話を今回のテーマである「最も重要なこと」に移します。

人それぞれに、最も重要なことがあると思います。
しかし、今日は、個人の差異を超えた、人としての最も重要な事は何かを論じたいと思います。

あなたにとって、最も大切なことは何ですか。

家族ですか。仲間ですか。
仕事ですか。お客様ですか。
お金ですか。それとも洋服ですか。

それぞれが大事です。
服だって、それが大事な人からのプレゼントなら、どんな物よりも価値があるでしょう。

私の中で、一番重要なこと。
それは毎年変わっています。

だって、毎年新しいことを学ぶからです。

そこで、人としての「最も大事なこと」を論じる前に、私個人の大事に思っていたことを、時系列の沿って挙げてみます。


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子供の頃、特に中学生の頃は、最も大事たと思ったのは、友達でした。
また、やんちゃな生徒に目をつけられない事。これも大事なことでした。

授業についていくこと。これは親のプレッシャーは幸い少なかったですが、授業がわからない事は苦痛だったので、授業についていける程度の学力は大事でした。バカだと思われたくなかったからです。

高校生になると、部活を始めたので、試合の勝ち負けが大事でした。
恋もしましたが、片思いで終わりました。

高校3年生になると、進路が気になりました。

私は、当時いろいろあって、海外で暮らすしかないと思い込んでいました。
だから、大学受験は考えず、海外留学に必要な英語力が大事な課題になりました。

そこで、英語の専門学校に行って、親友との出会い、先生方との出会いがありました。
恋もしましたが、やはり片思いで終わりでした。

ある程度の英語力もついて、留学を前にして、バイトも始めました。
その時に、働くことの難しさと、特に敬語を含めた言葉の使い方が大事だと痛感しました。

19歳の頃でしたが、英検2級に受かったので英語の家庭教師をしたり、タクシーの無線基地でのバイトなどを経験しました。

尾崎豊という歌手にあこがれて、その時は歌が人生に欠かせないものでした。
バイクにも憧れて、親を説得し、一回でも転んだら乗らないと約束してバイト代でバイクも買いました。半分は両親に出してもらいました。

ちなみに、私は最後まで転ばなかったのですが、私の父がバイクの免許を持っていたので、久しぶりに乗ってみたいというので、中古ではあったけどピカピカのバイクを貸したら、どこかでコケたらしく、傷がついて帰ってきました。悲しかったけど、半分バイク代を出してもらっていたので、はあ、とため息をついてこの件は終わりました。

19歳の冬、留学が始まりました。

アメリカ・バージニア州の小さな町の小さな大学で私の最優先事項は寒さ対策でした。
クリスマス当日に降り立った私はすぐに風邪を引いてしまい、生まれも育ちも南国沖縄なので、寒さに対しての知識がなく、苦労しました。

そして、語学留学から始めた私は、英語力を高めるという使命がありました。
幸い、ドミトリー(学生寮)での生活から始めたので、アメリカの文化に直接触れ、酸いも甘いも経験し、その後、気の合う仲間とアパートを借りて、さらに勉強に集中できる環境へと変化して行きました。

この頃の重要事項を一言で言えば、「適応すること」です。


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ここまでが、20歳。
まだまだ話は続きそうなので、今日はここまでをPart1として、次回以降に続けたいと思います。